このクリスマスの日に緊急病院でのアルバイトの仕事をした。常勤の先生たちはクリスマスの日に休みたがるので、私が代わりに呼び出された。36時間という長い緊急病院のクリスマスでの仕事はアメリカの医療機関の良い面と悪い面が凝縮されているようだった。良い面というのは、緊急病院に駆け込んできた患者はどんなにお金のない人でも、保険のない人でも、不法移民でも、どんな人でもお医者さんに見てもらえるという、アメリカの寵愛主義の賜物のようなすばらしい制度であるということだ。アメリカのたいていの病院は州を通して政府からの金銭的補助を受けているのが普通で、そういった病院では、どんな患者も緊急病院に現れた人は拒否することは出来ないという法律がある。それは、アメリカでは、死に際には病院の手当をどんな人でも無料で受けられるという素晴らしい制度なのである。命の危険があると判断された場合には、無料で処置が行われ、命に別状がないと判断されるまで適切な治療が施される。
とくに、メディケアとメディケイドという保険制度を保有している患者さんは、普通の病院に行くとコーペイといっていくらかの支払いを要求されるのだが、緊急病院ではただで手当を受けられる。メディケアは、65歳以上の高齢者が主に対象になっていて収入に関係なく65歳以上であれば、誰でも入ることが出来るが、メディケイドは主に低所得者、特に身体障害者や精神障害者で職業に従事できない人々を対象にしている。メディケイドを受けるためには、俗にいう「厳しい」審査を通る必要があるが、その基準は州によって異なる。そのため、元気そうに見える人がメディケイドを受けていることに驚くこともある。
低所得者といっても、携帯電話はもちろん、アイパッドまで持っている患者も多く、アメリカは何と寛大な国なのだろうと驚くというかあきれることもたくさんある。こう書くと緊急医療には、何も悪いことはないように思われる。しかし、クリスマスの日の緊急病院には、その制度を悪用しているようにしか思えない患者がたくさんいた。私が働いた36時間のうちの一人の女性患者は、中毒性の強い薬の注射を受けるために二度も緊急病院を訪れた。一度目は、頭が割れるほど痛く、常用している頭痛薬を飲んでもだめだということで緊急病院に現れ、痛みをうめきながら訴える。風邪を引いたということで、頭痛が激しいということだったが、常勤の看護婦さんが「あの人はいつも薬がほしくてやってくるのよ。」と教えてくれた。よく聞いてみると、デラティド4ccを注射してくれればいつもよくなるといっていた。私はまず、2ccを処方したが、症状は一向によくならない。一緒に来ていた旦那さんは、「4ccじゃないときかないんだ。」と荒立たしそうに叫んだ。追加で2ccを注射しないとここから帰りそうもない。「しょうがないな~。」と思いながら、あと2ccを処方し、しばらくするとやっとよくなったといって帰っていった。よかったと思ったのもつかの間、その女性と旦那さんは次の日の同じような時刻にまた現れた。今度は、「昨晩ソーダ水を2リットルも飲んだのにちっとも尿がでない。おかしいからみてくれ。」といって来た。どうして2リットルも飲むのと問いつめたい気持ちをぐっと抑えて、症状を詳しく聞いた。膀胱のあたりが痛いということだったので、ウルトラサウンドという器具で膀胱の上の辺りからどのぐらい尿がたまっているかをみてみると、あんまりない。おかしいなあと思いながら、よくよく聞くと、やはり昨日と同じく薬の注射に来たらしい。
いろいろ注射の副作用を話し、いろいろ話をしたのだが、やはり注射をしてくれといって聞かない。仕方なく同じように注射をすると、突然よくなったと言って帰っていった。げんきんなものだな~と思いながら、でも帰ってくれて実を言うとうれしかった。確かに頭痛は緊急を要する病気かもしれない。でも、そのために中毒性の強い注射をほとんど毎日うっているのは患者さんのためにならないが、それをしないと患者は帰ってくれない。先ほどの看護婦さんに聞いてみた。他のお医者さんたちはどうしているのかと尋ねると、「常勤の先生たちはすぐに注射をして帰ってもらう。その方が効率的だから。でも、非常勤の先生はまちまちだあ~。」という答えだった。
常勤の先生が何度も何度も口が酸っぱくなるほど言い聞かせて、でもだめだと諦めているようであった。それなら、そういった中毒患者に時間をかけるぐらいなら、もっと生死をさまよっている人に時間を充てるのもわかるような気がするのも確かだが。ほかにもよく似た患者さんはたくさん来るようで、そういった人には十分な時間を費やし説得し、でも、最終的には注射をするか、あきらめてはじめから注射をして帰ってもらうかのどっちかになるのだ。
とそうこうしている間に、外部から電話がかかってきた。看護婦さんが出て話しをしているのを聞き耳を立てていると、今日の当直の先生を問い合わせているような電話であった。電話の後で、誰からだったのかと聞くと、「いつもの痛み止めの強い薬を打ってほしいと来る患者さんからで、今日の当直を聞いてきた。その患者さんは、どの先生だとすぐ薬を打ってくれるかわかっているから、いつも来る前に電話をかけてくる。好みの先生が働いている日には緊急外来患者として現れるのだ。」ということだった。患者もなかなか考えとるわい、とあきれるやら感心するやら。
中毒性の強い痛み止めの薬は一度はまってしまうとなかなかやめることが出来ない。本当に頭痛や腰痛と言った痛みがあるのだろうが、中にはそういった薬を処方してもらって闇市で売ると良い値段になるということで、痛み止めの薬と称して処方箋を書いてもらい、お金を儲ける患者も多いと聞く。嘘発見機でもない限り、緊急病院という時間の限られた場所で、じっくり時間をかけて患者と向き合うことは不可能に近いので、10錠ぐらいだけ、処方して帰ってもらうということになる。でも、最近では政府もそういったやみ取引を取り締まるべく、コンピューターを使って、全ての中毒性の高い薬の処方箋を監視している。医者も、ある特定のウェブサイトにいくと、この患者はいつどこでどのぐらいの薬を処方してもらったというのが一目でわかるようになっている。ほかにも、そういった痛み止めの薬を処方する時は患者との間に誓約書を交わし、ちゃんとした処方箋の使い方以外の使用をしないように約束してもらう。もし、それに一つでも違反したら、医者は、患者と医者の関係を断ち切ることも出来る。
ただ、困ったことに、常連の中毒患者で緊急病院に来る人の中にも、本当に命に関わる場合もたまにある。そういった時の症状を見逃すことによって、緊急病院の医師はよく訴えられる。しかし、いつもいつも痛みを訴えて薬をもらいに来る患者が今度こそは本当に命に関わる病気になっているとは考えにくく、それが落とし穴となり、重要な症状を見過ごしてしまう場合もあるのだ。患者も、どう演技をしたらすぐに信じてくれるか、薬をもらえるかを熟知しており、彼らの演技は巧妙で、演技か実演かの見当もつきかねることが多い。
こうやって書くと、緊急病院では、悪いことばかりだったような気になるが、中には養護施設に入っている言葉の話せないおじいちゃんが腹痛を訴えて救急車で駆け込まれた時、ウルトラサウンドで膀胱に尿がいっぱい入っており、人工の尿道管が詰まっているとわかり、すぐさま新しいのに取り変えて一命を救ったときのこともあった。痛みを必死に訴えていたおじいさんが、手当の後にグーグーと子供のように眠っているのを見たときには、助けられたという充実感でとても嬉しくなった。他にも、大きな怪我をしたおじさんの手を縫ってあげたり、皮膚病で来た患者に注射をして症状が和らいだといって感謝されたりと、嬉しくなるようなこともたくさんあった。充実したひと時でもあった。まあ、とにかく、アメリカの医療の良いも悪いも垣間見られるのが緊急病院なのである。