先日、クリニックに32歳の黒人の女性が訪れた。彼女はお尻の尾てい骨の近くにできものができたので、膿を切開してだしてくれと言ってきた。すぐにそれはできたのだが、そのあとがたいへんだった。というのは、彼女は妊娠していて、4ヶ月に入ったところだという。皮膚を切開すると、特にお尻の辺りはあまり衛生が良くないので、必ず抗生物質の軟膏を処置部に塗ってもらう上に、抗生物質を飲んでもらわないといけないのだが、妊婦さんに安心の抗生物質となると数が限られてくる。特にその妊婦さんは、いろいろな薬に対するアレルギーがあり、お腹にいる赤ちゃんに何か後遺症でも出来る薬は必ず避けなければならないので、その妊婦さんに薬一つを処方するのにとても気を使った。いろいろ調べた結果、これなら妊婦さんにもお腹の赤ちゃんにも大丈夫という薬をだして、二日後に処置部のチェックに来てくれるよう指示した。それからその日の午後、薬局から電話がかかってきた。出てみると、あの妊婦さんの薬局の薬剤師さんからで、彼女は健康保険を持っていないし、私の処方した薬は他の薬と比べて高額だから、患者さんは買えないと言っている、何か別の抗生物質に変えてくれないかということだった。彼女が健康保険を持っていないとは知らず、少ない処方できる抗生物質のオプションのなかから、これぞとばかり選んだ抗生物質が高額であろうとは。また、文献を検索し直し、安くて、安心な抗生物質を選ぼうとしたが、どれも何かに引っかかる。いろいろ調べたあげく、どうにかこれなら安心だろうという薬を薬剤師さんに伝えた。アメリカでは薬の管理は政府の食品医薬品局のもとに管理されていて、妊婦さんの薬には、生まれてくる子供にどれぐらい害があるか、またその害が今までの研究で証明されているかいないかで、次の5つの種類に分けられる。ただこういった種類分けは最近ではなくなってしまった。
クラスA:今までのリサーチで薬が生まれてくる赤ちゃんに害があると認められなかったもの。
クラス B:動物実験では害が今までに認められていないが、実際の妊婦さんによるリサーチでは害がないとまだ証明されていないもの。
クラス C:動物実験では害があると証明されたが、実際の妊婦さんのリサーチは不十分である。しかし、どうしても妊婦さん健康のために使わざるを得ないもの。
クラス D:生まれてくる赤ちゃんに害があると証明されているが、どうしてもという時には使ってもいいというもの。
クラス X:動物実験でも実際の妊婦さんのリサーチでも害があると認められて、益と害を天秤にかけても害が強すぎるとされるもの。
日本でも、50年代にサリドマイドベービーという奇形児の誕生がマスコミを騒がせたことを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。サリドマイドという薬が店頭にでまわり、つわりに効くということでたくさんの妊婦さんがサリドマイドを飲んだ結果、生まれてきた子供の中には、腕がなく、肩からすぐに手がついていたり、腰にすぐ足首が生えていたりといった忌まわしいことがおこった。妊婦さんのつわりは妊娠初期の頃がもっともひどいのだが、お腹の中の赤ちゃんは8週間までにいろいろな器官が出来上がってくる。手や足といった体の一部はそのころに作られるので、その時にサリドマイドを妊婦さんが取ると、そういった手足の一部がちゃんと発達しないまま生まれてくることになる。
内科の授業で、「妊婦は悪魔だ」と冗談まじりにいっていた講師の先生がいた。彼に言わせると、妊婦さんには薬の選択だけではなく、CTスキャンなどのテストなど、胎児のことを考えると、出来ることが極端に限られてくるので、治療がとても大変だということをブラックジョークにしたものだった。産婦人科のお医者さんはこんなジョークは決して言わないと思うのだが。
妊婦さんだけでなく、小さなお子さんにも気をつかう。というのは、小さなお子さんは病状がすぐに悪化しやすい。さっきまで元気に遊び回っていたかと思うと、次の瞬間にはぐったりとなっていて、飛行機で最寄りの大病院まで急送しなければならない、という生死をさまよう状態になっていたりすることがある。小さなお子さんは自分で痛みを表現できないので、親御さんに事情を伺うことになるが、そういった時の親御さんは当然のことながら気が動転していたり、気分がイラついていることが多く、まず親御さんと話して、信頼してもらったり、気分を落ち着かせてもらうことをまず第一にしなくてはならない。その上、小さなお子さんに処方できる薬も妊婦さんの薬のようにとても限られている。親御さんは、医師たちにどうにかしてほしいと思っているのはやまやまだが、「今は安静にして様子を見る」ことぐらいしか出来ないこともある。それを、わかってもらうように説明するのも大変だ。そういった、患者さんとのコミュニケーション力は良い医者の最低条件だと思う。それらは、医学部の勉強で学ぶより、医師それぞれの人間性や、患者さんと接することでしか習得出来ない、大切な医師としての能力だと思う。
そういった実際の医療現場での苦労に関してだが、少し話はそれるが、医学部で学んだことと違うことを実際の患者さんと接することで学ばされることがよくある。医学部で最初に教わることに、医学の四か条と言うものがある。日本語に訳せば、次のようになろうか。
1、患者さんの意思を尊重すること。
2、全ての患者さんを公平に扱うこと。
3、患者さんの益になることをすること。
4、決して意図的に患者さんに害になることをしないこと。
しかし、実際の医療現場では、それらが掲げている建前と相反することを行わなくてはならないことも多々ある。例えば、先週、風邪を引いたという三十代半ばの女性の患者さんがクリニックにやってきた。関節など、体中が痛くて、昨晩は寝れなかったといって、彼女のお母さんと一緒にやってきた。彼女は、小学校の先生らしく、次の日働かなくてはいけないという。ところで、私が大変だなあと思う患者さんは、家族の誰かと一緒に来ることが多い。家族といるという安心感で、気が大きくなるのかなあと思ったりする。まあそれは余談だが、私は、医学部で学んだ通り、丁寧に事情をきき、最も良いと思う処置を考えようとした。すると彼女は、突然怒りだし、「そんな話しはしてないで、早くテストでも何でもして直してよ。こっちは痛くてしょうがないんだから。」と怒鳴った。私は、一瞬びっくりしたが、すぐに「では、テストをしましょう。」といって、それが患者さんの望んでいることなのだと思い、その場で最も適切だと判断したテストをオーダーした。私は、3番の「患者さんの益になる」ことをしようとして努力していたのだが、1番の「患者さんの意思を尊重する」ことに重点を置いた処置をするよう、頭の切り替えをしなければならなかった。
医学部の時に、一人一人の患者さんに時間を出来るだけ取って、話しを聞いてあげることは大切だと習った。ある研究によると、一人の患者さんに15分以上費やすお医者さんは、そうでないお医者さんに比べて、訴えられる割合が少ないと聞いた。でも、時には、全ての患者さんがじっくり話しを聞いてほしい訳ではない。一人一人いろいろな要求があり、それに答えていくことは難しい。そして患者さんが望んでいることが、実は本当にいい治療法でないことも多々ある。その例としてよくあるのが抗生物質の処方だ。風邪をひいた患者さんは、よく抗生物質を処方してくれといってくる。本当に抗生物質が必要な場合は別だが、ウィルスによるインフルエンザなどは、バクテリア(細菌)による病気とは違い、抗生物質はきかない。いや、抗生物質を不必要にとると、細菌に対する免疫力が低下し、次の本当に抗生物質が必要な時に抗生物質が聞かないということになることもあるので、抗生物質をむやみにとることは本当は健康によくないことになる。だが、それを患者さんは、素直に聞いてくれず、説明するのが大変な時がある。
また、ウィルス性の風邪の場合にも薬はあることはあるのだが、その薬は、最初の二三日間に飲まないと効かず、その時期を逃すと飲んでも意味がなく、それがまた、高額な薬なのだ。その薬を処方せず「インフルエンザです。しっかり水分を補強して、安静にしてください。」といって処方箋をださなければ、患者はどうして高いお金を払って医者に見てもらいにきたのか、というような顔をしたりする。とにかくアメリカの医療費はとても高いので、何も処方箋をもらわず帰らされるのにいらだつのもわかるような気もするが。でも、ここでも、1番の「患者さんの意思を尊重すること」と3番の「患者さんのためになることをすること」が相反し、でも医師の良心に従い、3番の「患者さんのためになること」をしなくてはいけないと思い実践している。
他にも肩の痛みを訴えてクリニックにやってきた40代の男の患者さんがいた。肩の痛みには、いろいろな原因が考えられる。患者さんのお話を聞いて、これだろうと目星をつけ、テストを選び、そのテストの結果次第で痛みを和らげる対処法を考える。患者さんと話しているうちに、だいたいのめどはついたので、いくつかの治療のオプションを提示して、患者さんと話し合い、お互いに合意のいく処置をほどこそうとした。すると、かれは、「あんた医者だろう。あんたのいいようにやってくれ。」といった。医学部では、患者さんに治療のオプションを提示し、患者さんの合意のもと、治療を進めていくことが推奨されているが、患者さんの中には勝手に決めてくれという人も多い。患者さんの意向を尊重したくとも意思がない場合、または意思を表さない場合はしょうがない。アメリカ人は自己主張が強いとよくいわれるし、実際そうだと思う。でも医療の場ではそうとも限らないということを学んだ。それから、人によりけりだといってしまえばおしまいになるが。
こういって、いろいろアメリカでの医療の苦労話を書いていくと、愚痴ばかり言っているように思われるが、実際には医療というのは他人のために働いていること、他人のために役に立っていることを感じさせてくれるすばらしい職業であり、毎日神様に医師として働けることを感謝している。そして、よりよい医師になれるよう神様に祈っている毎日でもある。