前回、アメリカの個人尊重主義が医療を複雑にしていると述べましたが、それ以外にもアメリカ医療を複雑にしている要因は多くあります。今回は、別の視点からその要因を掘り下げていきます。
防衛医療(Defensive Medicine)
防衛医療とは、医師が訴訟を恐れて不必要な検査や処置を行ったり、逆にリスクを回避するために適切な治療を行わないことを指します。
例えば、アメリカの緊急医療機関で「胸痛」を訴えると、どんな場合でも最低24時間の入院を求められることが多いです。これは、胸痛が心筋梗塞の初期症状である可能性があるためです。心筋梗塞は突然死につながる病気であり、アメリカの死因の1位となっています。
私自身の経験でも、胸痛を訴えて来院した患者がその場で急変し、数時間後に亡くなった例を見たことがあります。そのため、医師は胸痛を訴える患者に対して最優先で診察を行い、あらゆる検査を実施します。そして、異常が見つからなくても、訴訟リスクを避けるために24時間の経過観察を勧めるのです。
しかし、胸痛の原因は心臓病以外にも様々です。例えば、胃酸の逆流による胸焼けも胸痛を引き起こすことがあります。それでも、万が一の可能性を考えて入院を指示するのがアメリカの医療の現実です。万が一、患者を早期退院させた後で心筋梗塞を発症し、死亡した場合、医師と病院は訴訟リスクを負うことになります。
もう一つの例として、手術の際の対応があります。アメリカの病院では、手術の前に患者に手術の必要性、リスク、代替治療の可能性などを説明し、同意書に署名をもらうことが義務付けられています。この手続きを怠ると「Medical Battery(医療暴行)」として訴えられる可能性があります。
私が、外科医の研修医として働いていた時、ある腹部手術の際、お腹を開いてみて予期しなかった腫瘍が見つかりました。腫瘍は簡単に摘出できるものでしたが、患者の同意を得ていないため、その場で除去することはできませんでした。そこで、予定していた手術のみを完了し、腫瘍の摘出については患者と改めて相談した上で、別日に再手術することになりました。手術費用や時間を節約できるはずが、患者の同意を得ていなかったために柔軟な対応ができなかったのです。
管理医療(Health Service Management)
アメリカの医療は高額であるにもかかわらず、成果が十分に発揮されていないと批判されています。下記の図は、アメリカと他の先進国の医療費と平均寿命の関係を示したものですが、アメリカは他国と比べて効率が悪いことが分かります。

(参照: OECD 医療費と平均寿命の比較)
http://theincidentaleconomist.com/wordpress/wp-content/uploads/2013/11/OECD-LE-Spending1.jpg
この問題を解決するため、アメリカでは“health service management”(「管理医療」とでも訳すべきか)というシステムが導入されています。管理医療の目的は以下の3つです。
1.医療費の抑制
2.医療の質の向上
3.医療の普及
管理医療の代表的なシステムには、以下のようなものがあります。
- HMO(Health Maintenance Organization)
- PPO(Preferred Provider Organization)
HMOは、特定の医療機関と契約することで医療費を抑えます。ただし、自由に医師を選べないというデメリットがあります。
PPOは、HMOに比べて医師の選択の自由度が高いですが、その分費用が割高になります。
また、病院ではUtilization Management(利用管理)という手法を用いて、過去の治療データを分析し、より低コストで効果的な治療法を模索しています。しかし、こうしたコスト削減のプレッシャーは、現場の医師にとって大きなストレスとなっています。医師は、患者の最善の治療を提供したいと考えながらも、医療費削減の圧力に直面しているのが現実です。
まとめ
アメリカ医療の難しさは、以下の要因によって生じています。
1.防衛医療(Defensive Medicine):訴訟リスクを避けるために、過剰な検査や入院が行われる。
2.管理医療(Health Service Management):医療費削減のためのシステムが導入されているが、自由な医療選択が制限される。
3.医療費と医療成果のバランスが取れていない:莫大な医療費を投じているにもかかわらず、平均寿命などの指標では他国に比べて効果が低い。
こうした問題を解決するには、単に医療費を削減するのではなく、質の高い医療をより効率的に提供できるシステムの構築が求められています。