最近の医学の進歩はめざましい。アメリカで医療にかかわっていると、最新の医学情報に簡単かつ直接触れることができるという特権を享受できる。例えば、両腕を切断した患者に亡くなった人の両腕を移植する技術や、顔面の移植も最近は可能になってきた。同僚と、「このまま進歩が続けば、首の移植(neck transplantation)も可能になるかも」とジョークを言い合う今日この頃である。

特に、最近までできなかったことがどんどんできるようになっている。数年前の医学部時代、心臓外科のローテーションをしていた頃は、バイパス手術といえば必ず胸部を開いて胸骨を切断して行うのが慣例だった。しかし今では、小さな顕視鏡を使った腹腔鏡(ラプロスコーピック)手術が一般的になりつつある。 ほとんどの内臓や泌尿器科の手術では顕視鏡が使われるのが一般的だ。それにより、小さな傷が3つか4つ残るだけで済み、手術後の経過もよほどのことがない限り順調である。さらに、何と言っても手術をしたその日に退院できるという素晴らしい特典がついてくる。

病院で一日過ごすと、その費用は病院によって異なるものの、およそ30万円、集中治療室ではその何倍もの費用がかかることもある。保険に入っていても、通常20%から30%は自己負担となる場合が多いため、バイパス手術で一週間も入院すれば、手術費以外にも莫大な費用がかかってしまう。こうしたことから、腹腔鏡手術は患者にとってもありがたい医学の進歩と言えるだろう。

こういったすばらしい医学の進歩にもかかわらず、アメリカの平均寿命は日本に比べて、さらに他の先進国や一部の発展途上国に比べてもそれほど良い結果を出していない。下記のグラフを見ていただきたい。日本、特に女性の平均寿命は85歳と世界のトップクラスであり、他国と肩を並べるほどすばらしい数字だが、アメリカの平均寿命は伸び悩んでいるように見える。それはいったいどうしてなのだろうか?アメリカの目覚ましい医学の進歩が、どうしてアメリカ人の寿命の延びに反映されていないのだろうか?

そして、ふと気がついた。アメリカには医療や健康に関して二つの流れがあるのだと。そして、その流れは180度対照的なものである。一つ目の流れは、上記で述べたような目覚ましい医学の進歩だ。しかし、二つ目はそれとは正反対の、最近の健康志向の流れである。

大都市ではWhole Foodsのような健康食品店が次々と進出し、地元の大手スーパーに比べて非常に高価格なオーガニック食品を買い求める人が増えている。また、ヨガや太極拳が精神病やリューマチに良いという研究結果が広まると、こぞってそのような教室に通いレッスンを受ける人が増えている。まるで「自分の健康は自分で守る」とでも言いたいかのように、多くの人々が健康に気を使い、生活習慣を見直し改善している。

こうした健康志向の人々の流れと、最新医学の目覚ましい進歩という二つの流れに、今のアメリカは揺り動かされているように思える。健康志向の人たちは日本食の良さを理解しつつあり、アメリカでは日本食ブームが続いている。実際、私もアメリカに来て初めて日本食のすばらしさを再認識した。

初めてアメリカに来たときは、アメリカの食事が珍しく、毎日アメリカの食生活を満喫していた結果、1年で体重が10キロほど増えた。また、アレルギーなどの慢性病にかかりやすくなり、一時は重度のウイルス性気管支炎にかかった。その際、近くの病院に歩いて行こうとしたが、その途中で気を失い、応急病院の入り口付近で倒れてしまった。誰かが救急車を呼んでくれたようで、救急車に乗せられた。目の前に入口が見える応急病院まで、わずか20メートルほどの距離だったと思うが、救急車で運ばれることになった。

救急車の中で、かすかに運転手と看護師の会話が聞こえた。「どのぐらいの速さで行きましょう?」「普通でいいんじゃない。」(”How fast should we go?” “Usual.”)日本でも救急車で運ばれたことがない私が、初めて救急車に、それもアメリカで乗るのだから、「おもいっきり飛ばしてよ!」と言いたい気持ちをぐっと抑え、じっと横たわって静かにしていた。

応急病院に到着すると、まず健康保険の有無を聞かれた。こちらは倒れるほど具合が悪いのだから、少しでも早く治療をしてほしいと思ったが、たぶん生死に関わる状況ではないと判断されたのだろう。その後、車椅子に移動させられ、小さな診察室に連れて行かれ、血圧などをチェックされた。その間、看護師さんは突然、“Jump!”(「飛んでみて」)と言い、私にジャンプするよう促してきた。「ほんまかいな」と心の中で思ったけれど、どうやら看護師さんは私のエネルギー状態をチェックしようとしていたらしい。 あまりにもひどい要求に思えたので、「立ち上がれません」とか細い声で答えると、「オーケー」と言って、私を大部屋の診療室に連れて行き、ベッドに寝かせた。

それからどれくらいの時間が経ったのだろうか?少なくとも4~5時間は経ったと思う。ようやく医師らしい白衣の人が現れ、いろいろ質問されたが、その場にいたのはほんの5分程度だった。その後、看護師がグレープジュースをコップに入れて持ってきて、「これを飲め」と言われた。それを飲んだ後、さらにどれくらい待たされたのか分からないが、夜も更けてきていた。(私は朝の10時ごろに病院に向かったはずなので、かなり時間が経っていたと思う。)

待てど暮らせど誰も来てくれない。私は意を決して起き上がり、倒れそうになりながらも病院をあとにした。 誰も私に気を留める様子はなかった。家に必死の思いでたどり着き、そのまま深い眠りについた。

この経験を通じて、「自分の健康は自分以外誰も守ってくれない」ということを痛感した。そして、アメリカでは自分で健康管理をしなければ生きていけないという現実を、身をもって実感した。

それから健康に関する本を読みあさり、ついには医学部にまで進んで医学を勉強した。健康について勉強すればするほど、日本食の良さがしみじみと分かるようになった。それ以降は菜食主義の生活を続け、今に至っている。 その後、日本に一時帰国した際、姉に「私はアメリカに来て菜食主義者になった」と話すと、姉は「菜食主義者って、みんな細いと思っていた。」とのたまった。(姉の言葉に、少し胸にチクリとしたものを感じたが、何も言い返さなかった。)

話は少し余談になってしまったが、私のような菜食主義者がどんどん増えているアメリカと、最新医療の先端を行くアメリカ。この一見、矛盾しているような二つの流れを持つ国であるアメリカも、なかなか憎めないと思う今日この頃である。