アメリカの医療制度は高額で複雑であり、日本と比べてサービスが悪いように感じる。医師との予約には少なくとも数日、忙しい専門医となると何ヶ月も待たされることが多々ある。そして、ようやく予約した日にクリニックに行っても、待合室で長時間待たされることも珍しくない。
さらに、アメリカの保険制度は非常に複雑だ。まず、保険を持たない人も多い。保険に加入していても様々な制約がある。たとえば、どの医師に保険が適用されるかが限定されており、他の医師や病院では保険が適用されない場合がある。また、保険が適用されない医師を受診してしまった場合、患者自身が保険会社と交渉し、保険金が出るよう申請しなければならない。このように非常に手間のかかる仕組みとなっている。
そんなアメリカ人の不安を解消する形で登場したのが、消費者の購買意欲をそそり、便利な買い物体験を提供してきたAmazonによる新しい医療サービスだ。Amazonは「ワンメディカル (One Medical)」という、電話やビデオを利用した診療を低価格で提供している。このサービスは、年間99ドルを支払えば、電話やビデオで簡単に医師の診察を受けられるというもので、その日のうち、もしくは翌日には診察を受けられるとウェブサイトに記載されている。さらに、Amazonは薬局サービスも展開しており、処方された薬を通信販売を通じて手軽に自宅まで届けてもらえるため、薬局に行く手間も省ける。このように、Amazonは安価で手軽に医師と話せるクリニックを開始したのだ。これはまさに、アメリカの患者が待ち望んでいたサービスと言える。
しかし、電話やビデオで診察するため、医師が患者に直接触れたりすることはできない。そのため、手術などの直接的な治療は行えないが、精神病の治療やカウンセリング、軽い風邪などの治療には非常に便利だ。たとえば、うつ病で苦しむ患者が外出できなくても、電話で診察を受けられる。また、実際に医師に会いたい場合は、近くのクリニックを訪れることも可能だ。Amazonは積極的にクリニックの買収も進めていると言われている。
こうした利便性から、「電話医療は本当に素晴らしい」と思うかもしれないが、そこには落とし穴も存在する。まず第一に、保険が適用されない点だ。つまり、健康保険に加入していてもこのサービスでは利用できない。ただし、薬に関してはほとんどの保険でカバーされるようだ。もう一つの懸念点は、料金が安いため、医師が十分な時間をかけて診察を行えない可能性があることだ。この結果、命に関わる事態が発生するかもしれない。
実際、Amazonの医療サービスで初めての訴訟が発生した。昨年、カリフォルニア州に住む45歳の男性が亡くなり、その家族がAmazonを訴えている。事件の概要は次の通りだ。2023年8月、45歳の男性がAmazonの電話診察を受けた後、すぐに救急病院に運ばれたが、命を落としてしまった。彼は糖尿病を患っており、診察時には呼吸困難や血の混じった咳、さらに足の青紫色化(血液循環の悪化を示唆)といった症状があったという。しかし、電話診察ではインヘイラー(喘息などに用いる吸入薬)が処方されただけで、診察は終了した。その後症状が改善せず、救急病院に運ばれたが、そこで死亡してしまったのだ。遺族はAmazonと緊急病院の双方を訴えている。
この件は、Amazonが医療分野に進出して初めての訴訟であるため、大々的に報道されるかと思われた。しかし、CNNなどの主要メディアでは取り扱われておらず、私が知る限りでは医療者向けの専門誌や地方紙にのみ細々と掲載されているようだ。
こうした電話診察サービスは、誤診や診察ミスによる死亡事故が今後も起こり得るだろう。電話診察では、患者との信頼関係(ラポート)を築くのが難しい。アメリカでは長年家族単位で診察を続けてくれる家庭医がいるのが一般的だが、そうした関係がない場合、訴訟に発展する可能性は高くなる。さらに電話診察では、多くの患者の症状が見逃される危険性もある。たとえば、患者が「足が青くなっている」と説明しても、その程度や範囲などを正確に判断するのは難しい。実際に目で見れば重症度が一目で分かることでも、電話では見逃してしまうことが多いだろう。また、電話診察では血圧や脈拍、体温といった重要なデータを測ることが難しい。特に心臓や肺の音を直接聞くことができない点は、大きな問題だ。
Amazonの電話診察は便利でリーズナブルなサービスであり、今後アメリカでさらに普及するかもしれない。しかし、そこには多くの落とし穴が潜んでいる。現在、そうしたリスクの特定と改善が進められている段階だ。将来的にはこうした問題が解決されるかもしれないが、現時点では電話診察の利点と欠点をよく吟味し、自分に合った医療を選ぶことが求められるだろう。