― 私の看護師奮闘記 ― 福元 智美
「今から看護師になるなんて、本当にできるのだろうか。」
人生後半に差しかかる頃、そう思いながら始めたアメリカでRegistered Nurse(RN)を目指す道でした。
私は日本で社会人経験を経て、アメリカに来てからはヨガインストラクターとして、人の健康に関わる仕事を子育ての傍らで続けてきました。
クラスには、持病と付き合いながら健康のために運動習慣を身につけたいという方も来られます。そうした生徒さんたちと接するうちに、身体の中で何が起きているのか、病気や治療が日常生活にどのような影響を与えるのかを、もっときちんと理解したいと思うようになりました。
同時に、自分自身のこれからの人生を考えたとき、「世界中のどこでも自分の力で長く働いていけるキャリアを持ちたい」という思いも強くなりました。
そこで選んだのが、Registered Nurse(RN)になる道でした。
私はアメリカでも日本でも、医療現場で働いた経験はありませんでした。さらに、看護プログラムに入る前には事前必須科目(Prerequisites)と呼ばれる基礎科目を履修する必要があるので当初はRN取得まで5年の計画を立てました。

私が進学したプログラムでは、Anatomy & Physiology I・II、Microbiology、Medical Terminology、EnglishなどをPrerequisitesとして履修する必要があります。家族との両立を続けながら、私自身も大学に戻り、英語を1から勉強を始めることになりました。
最初から自信があったわけではなく、「本当に最後までできるのだろうか」という不安を抱えながらスタートしたものです。それでも最初から無理だと決めつけず、とにかくやれるところまでやってみよう、というくらいの少し楽観的な思いで始めました。
コロナ禍の中で始めた大学生活
私がPrerequisitesの勉強を始めたのは、ちょうど新型コロナウイルスの感染が広がり始め、社会全体で隔離や外出制限が始まり、学校の授業も一斉にオンラインへ切り替わった時期でした。娘の学校もオンライン授業となり、自宅で娘の勉強を支えながら、私自身も大学の授業をオンラインで受ける毎日が始まりました。
娘の授業や課題を確認し、自分の授業を受け、自分の課題や試験勉強もこなす。
家の中には常に誰かの授業や課題がありました。その状況は思いの外きつく、また子育てをしながらアメリカの大学で勉強し、その先でRNを目指している日本人は周囲にはおらず、家族とずっと一緒にいる生活でありながら私は次第に強い孤独を感じるようになりさまざまな不安も頭をよぎっていきました。
そんな中、「同じような境遇の日本人はいないのだろうか」と思い、アメリカ在住の日本人が集まるあるグループで情報を探すようになりました。
そこで出会ったのが、「International Nurse ジャパン(INJ)」というグループでした。アメリカでRNを目指している人、すでにRNとして働いている人たちが集まるコミュニティです。参加者の多くは日本ですでに看護師資格を持っている方々でしたが、中には私のようにアメリカで一からRNを目指している方もいました。
英語で看護を学ぶこと、NCLEX受験資格の取得、就職など、それぞれがさまざまな壁に直面していましたが、同じ目標を持つ人たちとつながることができ「RNを目指しているのは自分だけではない」と思えたことは、想像していた以上に大きな心の支えになりました。
JMTXとの出会い
それから少しした頃、もう一つ大きな出会いがありました。
コロナが落ち着いてきた頃、ヒューストンで働く日本人女性が集まる会のピクニックがあり、参加した際、Japan Medical Association in Texas(JMTX)の福田代表と出会いました。そこから、医師や看護師をはじめとするテキサスで実際に医療従事者として働いている日本人の方々とのつながりも少しずつ広がっていきました。
当時の私はRNになるという目標はまだずっと先にあるように感じていましたが、実際にテキサスの医療現場で働いている日本人の方々と出会い、話を聞くことができたことも、勉強を続ける上でとても大きな励みになりました。
その後、福田代表が看護部門との連携を考えていた際、私は、たまたま出身地が同じで親しくさせていただいていたINJのゆかり代表と福田代表をつなぐお手伝いをさせていただくことができました。
アメリカで看護師として働く日本人のコミュニティと、テキサスで働く日本人医療従事者のコミュニティがつながっていく過程に少しでも関われたこの経験は、とても印象に残っています。
ただし、コミュニティにつながったからといって、試験が簡単になるわけでも、課題が減るわけでもありません。結局、勉強するのは自分です。
それでも、同じ方向を向いている人がいる、困ったときに話を聞ける人がいる、すでにその道を歩いている先輩方の存在は一人パソコンに向かっていた私にとって、大きな心の支えとなりました。
ようやく看護プログラムへ
Prerequisitesをすべて完了するまでには、結局5年かかりました。
Prerequisites中はまだ英語力にも十分な自信がなく、子育てとの両立もあったため、一度に多くの科目を詰め込むのではなく、自分の生活に合わせて少しずつ単位を積み重ねていくことを重視したためです。
また、この期間に勉強の合間に娘の学校やGirl Scoutsに関わるボランティアに積極的に参加し、少しずつ地域の人たちとのつながりも築いていきました。
当時は、それが後になって今後の自分の看護学生生活を支えてくれることになるとは思ってもいませんでした。
看護プログラムに入ると、授業やClinicalのスケジュールは全て決められた通りこなしていかなくてはなりません。家庭の事情から、毎回家族に送り迎えや預かりを頼める状況でもなかったため、娘の学校への送り迎えと実習時間が重なる日や、娘の学校が休みでも私には授業や病院実習がある日は、特に調整が必要でした。
そんなとき、それまで地域で知り合った友人たちが送り迎えを助けてくれたり、娘を快く預かってくれたりしました。

看護プログラムの2年間を振り返ると、勉強そのものだけでなく、それ以前の数年間に築いてきた地域とのつながりがあったからこそ、子育てと学生生活を何とか両立できたのだと思います。
当時は遠回りのように感じることもありましたが、今振り返れば、その時間の中で勉強だけでなく、生活の土台や人とのつながりも少しずつ作ることができました。
自分のペースで続けてきたからこそ、看護プログラムに入ってからも最後まで走り切るための準備ができていたのだと思います。
Prerequisitesを取得した後、同じコミュニティカレッジのAssociate Degree in Nursing(ADN)プログラムに進学しました。ここは家から5分ほどの場所だったため、娘の送り出しやお迎えにも時間を取られすぎず、近い学校を選んだことは、勉強と家族の生活のバランスを取るうえで大きなメリットになりました。
入学にはHESIという試験があり、そのスコアやPrerequisitesの成績などをもとに選考されます。看護プログラムは一般的に競争率が激しいと聞いていましたが、幸い1度目の出願で入学することができました。入学許可の知らせを受け取ったときの喜びは、今でも昨日のことのように覚えています。
入学してもう一つ励みになったのは、クラスには私のように子育てをしながら学んでいる学生が思っていた以上に多かったことです。
それぞれ事情は違っていても、「家族の生活を抱えながら看護師を目指している」という共通点がありました。この状況は私にとって大きな励みになりました。
ただ、看護プログラムでは課題の多さと授業のスピードを痛感しました。毎日のように出る課題と学ぶ情報量の多さ、週に何度も行われる試験。さらに、一定以上の成績を保たなければプログラムを継続できないというプレッシャーもかなりありました。その厳しさについては事前に先輩たちから聞いていましたが、実際に経験してみて初めて、その意味が身にしみて分かりました。
「もう無理」と思ったことは一度ではない
中でも私にとって一番大変だったのは、やはり素早い判断を求められるClinicalでした。
現場での英語は早くて、緊張も相まって患者さんが話す英語が理解できないことも何度もありました。理解するまで聞き返すことや、緊急でないものは理解できなかった言葉をカタカナで書いておいて、後で調べ直すということの繰り返しでした。授業で学んだ知識を即座に実際の患者さんの状況に落とし込んでいくということにも大変苦労し、ベッドサイドで行われる担当教官とのディスカッションで、うまく答えられない時も多々ありました。
実習が終わって家に帰っても、その日の実習内容をまとめる課題と、翌日の試験勉強があります。
実習を終えて帰宅し、すぐに家族の夕食を作ったあと、自分は食事を取る時間もないまま夜中まで課題に取り組み、締め切り直前に提出した、そんな日も何度もあり体力的にも精神的にも、「どうしてこんな大変なことを始めてしまったのだろう」と何度も思った時期もありました。
それでも、あまり先のことを考えすぎないようにして、目の前にある課題を一つひとつ終わらせることに専念し、それを続けているうちに、いつの間にか少しずつゴールが近づいてきたような気がします。
また、このような状況の先の見えない看護学生生活を支えてくれたのも、やはり人とのつながりでした。

この2年間は、家族のほか、クラスメート数人で組んだスタディグループ、私を応援してくれる大学の先生やカウンセラーなど、さまざまな人に支えられてきました。
特にスタディグループでは、分からないことを質問したり教え合ったりするだけでなく、ときには一緒に弱音を吐き、励まし合うことができ、この厳しい2年間を一緒に乗り越えた仲間たちは、私にとって「戦友」のような、かけがえのない存在になりました。

そして、ついに2026年5月、2年間のADNプログラムを卒業することができました。
卒業時には、優秀な成績を修めた学生に与えられるCum Laudeの称号をいただき、さらに、学業成績だけでなく教授からの推薦や学内外への貢献活動なども評価され、すべての学部生を対象に選考されるDistinguished Student Awardを受賞することができました。
これらの経験や実績は、その後の就職活動でも自分の大きな強みの一つになりました。卒業式の日は、「やっと終わった」という気持ちよりも、「アメリカで自分は本当にここまで来たのか?」という不思議な気持ちのほうが大きかったように思います。
卒業式には支えてくれた家族と一緒に出席し、たくさんの方からお祝いの言葉をいただき、そこでようやく「本当に卒業したんだ」と実感できたような気がしました。
NCLEX ― RNになるための最後の関門
アメリカでRegistered Nurseとなるには、NCLEX-RNに合格する必要があります。
卒業後は、ちょうど夏休みだったため家族に先に日本に一時帰国してもらい、一人だけの環境を作り、数週間集中的にNCLEX対策に取り組みました。そしてその甲斐もあり、1回目の受験でNCLEX-RNに合格することができました。
結果を確認したとき、ようやく自分の名前の後ろに「RN」とつけられるようになりました。家族への報告と、今までお世話になった方々へお礼とともにRN取得の報告をすることができ、やっと一息つけたような気がしました。
ここからはいよいよ就職活動です。
初めてのアメリカでの就職活動
日本で社会人経験があるものの、アメリカのレジュメの書き方から面接の受け方まで、日本での就職活動とは違うことも多く、アメリカ式の進め方を一から学び直しました。大学のCareer Centerを利用し、就職活動向けのサイトで情報を集め、すでにアメリカで働いている方々からもアドバイスをいただきながら、日本とは違う形式に戸惑いながらもレジュメの修正と面接練習を何度も重ねました。
看護プログラムとはまた違う意味で、この就職活動の時期も精神的に苦しいものでした。
実習でお世話になった病院では、採用担当者に直接レジュメを手渡しに行ったり、HRを訪ねて入職に興味があることを伝えたりしたり、クラスメートたちとは採用情報を共有し、一緒に面接の練習もしました。
結果を待つ時間が長くなりがちな就職活動でしたが、ただ待つだけにはならないよう、このようにできる限り自分から動くことを心がけ焦りと不安に立ち向かいました。また、仕事が決まらない不安を一人で抱え込まないよう、信頼できる周囲の人にも積極的に相談し、アドバイスを求めるようにしました。
また、書類選考の提出書類の一つである推薦状も大学の先生方にお願いし、数名の先生が快く書いてくださったのも、大変ありがたかったです。英語もアメリカの就職文化も自分にとっては母国のものではない中で、私の学生としての努力や人となりをよく知る先生方から推薦状という形でもサポートしていただけたことは、就職活動を進めるうえでも大きな後ろ盾になりました。
そしてようやく、Preceptorshipを行った地元の病院からNurse Residency Programのオファーをいただくことができました。

一人で頑張ったわけではなかった
今回、この「RN奮闘記」を書く機会をいただき、これまでの数年間を改めて振り返る機会を持つことができました。
私は決して、最初から強い意志と自信を持って一直線にここまで来たわけではありません。それでも今日まで続けてこられたのは、自分一人の力だけではなかったと思います。
さまざまな人とのつながりに支えられながら、少しずつここまで来ることができました。
「一人ではない」と思えることは、人が何かを続けていくうえで、想像以上に大切なのかもしれません。
これからRNを目指す方へ
もし今、アメリカでRNを目指している方や、「やってみたいけれど、自分にできるだろうか」「今からではもう遅いのではないか」と迷っている方がいたら、私の経験から伝えたいことがあります。
道のりは、人それぞれでいいのだと思います。
英語に時間がかかっても、子育てや仕事と両立しながら少しずつ進め、途中で立ち止まることがあっても、それでそれまでの努力がなくなるわけではありません。
私自身、PrerequisitesからRNになるまで約7年かかりました。
若い頃とは違い、体力や家庭の事情など、考えなければならないことも増えます。それでも、「今からでは遅い」「絶対に最後までやり遂げなくては」と最初から決めてつけてしまわなかったからこそ、ここまで来ることができたような気がします。
大切なのは、誰かと同じ速さで進むことではなく、自分の生活に合った方法で続けることなのだと思います。そして、一人で全部抱え込まないこと。
学校、家族、友人、地域、そして同じ目標を持つ人たちの力も借りながら、一つずつ進んでいくことも大切だと思います。そして、どうしても何かの理由で超えられない壁が立ちはだかった時には、当初設定した目標に固執しすぎずその状況にあった目標に設定し直す、ということも自分のメンタルヘルスを守るために大きなことかなと思います。私は例え最終的に何かの事情でRNになれなかったとしても、それは失敗ではないという気持ちを常にどこかで持って臨んでいました。
私自身、まだ新人RNとしてこれからですが、もしこの経験がどなたかの一歩を踏み出すきっかけとなり、やってみようかなという小さな後押しになれば、とても嬉しく思います。
私のRN奮闘記は、まだ始まったばかり
日本で社会人を経て、家族の事情で渡米し、人生後半戦に差し掛かる頃、看護プログラムへ進み、Registered Nurseになる。
振り返れば、最初から計画していた人生とは、ずいぶん違うところまで来ました。
でも、その途中で思いがけない人と出会い、それまで想像もしていなかった道が開くことがあります。
今の私は正直なところ、「私、本当に大丈夫だろうか」と思っている新人RNです。
資格を取るまでの奮闘はひと区切りつきましたが、看護師としての奮闘はこれからです。
数か月後、この続きを書く機会があるとしたら、私はどんな看護師になっているのでしょう。
まずは最初の一勤務。目の前の患者さんを安全にケアすることから始めたいと思います。
私のRN奮闘記は、まだ始まったばかりです。
